胆道閉鎖症と共に

胆道閉鎖症と共に生きる息子と家族の日々。

退院〜退院後初外来で考えた事

 

ミルクの量を増やしたり、MCTミルクと言う少し特殊なミルクを買って飲ませたりして体重を頑張って増やして行く方針になった。

 

生後4ヶ月でようやく4kgを超え、1週間におよそ100gずつくらい体重が増えて行った。

機嫌が良い時間も増え、採血結果や術後の創部の状態も良い。

 

 

そして入院から3ヶ月近くが経過して、いよいよ退院が決まった。

 

予防接種に行くだけのはずだった外出が緊急入院となり予想もしていなかったパパと離れっぱなしの生活。

仕事の前には必ず会いに来てずっと抱っこして病棟内お散歩したりずっと触れ合っていたし、休みの日には面会時間いっぱい使ってみーくんと一緒にいた。時折仕事の後に来て付き添いの交代もしてた。

 

それでも家族3人で同じ屋根の下で暮らす生活に戻れるのは大きな進歩だった。

 

退院になるからと言って今後のことが全く心配いらないわけじゃないしまだまだ何があるか分からない。移植になる可能性も0ではない。

だけど、この瞬間みーくんは元気いっぱい病棟のスタッフさん達と記念撮影会をしてニコニコと楽しそうにしている。

 

病気が分かった時頭によぎった。

 

気付くのが遅かったら...みーくんはどうなっていたんだろう。

 

便の色に気づかなかったら?

 

予防接種の時に診てくれた小児科医が精査を促してくれなかったら?

 

 

便の色に気づかなくても黄疸が続いてる事におかしいね、と精査する事になっていたのかもしれない。

生後2ヶ月まで黄疸が続いてたら大抵の先生は、精査してもらおうとなるのかもしれない。

 

考えすぎかもしれない。けれども、1つ1つが奇跡で繋がったパズルのように思える。

 

たくさんの人に支えられて、見守られて、無事退院を迎えたみーくん。

お世話になった多くのスタッフさん。

みーくんが大きくなった時に、この人とはこんな事があったよ。こんな事してもらったよってって教えてあげようと思って写真をたくさん撮らせてもらった。

 

 

 

そして1週間後に、退院後の初外来。
結果は、ビリルビンも1mg/dlまで下がっており順調な経過。


みーくんもとても元気でミルクもよく飲めていて体重も4950gと5kg目前。

 

今の経過ならばこのまま見ていけるけれど、長い目で見た時は神のみぞ知る世界の話し。

このまま自己肝でいけるか、移植になるか。

 

 

胆管炎を繰り返すと肝硬変も進行していくから移植を考えなければならない時が来る事もあると。

 

自己肝のままでいても、元々肝硬変リスクの高い肝臓を保有してるわけだから死ぬまで移植が必要になる可能性がある。

 

自分達が若いうちはいい。特に病気にもならず健康でいるうちは。
だけど、ドナーには色々な制限や条件がある。

年齢や健康状態など。

 

自分達が歳をとってドナーになれなかったら?

健康体でなくなっていたら?
自分達が死んだ後に移植が必要になったら?
先生の話しによると遺体ドナーはほぼ期待出来ないのが実情らしく、中々回ってこないそうだ。


先生は、みーくんが大人になった頃にはips細胞の研究がもっと進んで移植以外の救いだてが出来てるかもしれない。

でもそれこそ可能性であり、絶対じゃない。

 

 

だけど、先生の話では移植をしたとして再移植の可能性も割合は低く稀ではあるけれど0ではないと。

移植をすれば、免疫抑制剤を飲み続けなきゃならないし色々な行動制限も出てくる。

それは大人になるにつれ、少なくなるとはいえスポーツするにしてもお腹を強打しないように普通の子よりも気をつけなきゃならない。生涯免疫抑制剤の内服が必要。
色々な我慢や、免疫抑制剤による易感染状態による感染症のリスクを伴う。

薬との兼ね合いで食べれないものも出てくる。

 

 


こう考えたとき、移植をすることも自己肝でいくこともどちらも最善であり、どちらもリスクがあって正しい方はないんだと思った。


もちろん今後、肝硬変が進行して移植せざる得ない状況になれば話は違うし移植が必要となれば先生から打診もあるだろう。


就学してから移植が必要になったら休学しなきゃならないだろう。
楽しんで通ってるかもしれない学校にも行けなくなる。
友達とも長期間会えず、遊べなくもなる。

 

 

もちろん選択の余地もなく移植をしなければならない状況にもなるかもしれないけど選択しなければならない時も来るかもしれない。

自己肝のままでいくか、移植に踏み込むか。

 

 

大人の病気以上に難しい子供の病気のサポート。

何も分からない、自分で考えて答えを出せない子供の代わりに親が答えを出さなきゃならないこと。


それはすなわち子供の人生を考え、決める事。


親とは全く違う1人の人間の人生を決める。

それは言葉にするより深くて責任のあること。

 


生半可には答えは出せないし、答えを出す事を怖いとも思った。