胆道閉鎖症と共に

胆道閉鎖症と共に生きる息子と家族の日々。

パパの様子

 

 

2か月で20kg減量しなければならないパパ。

絶望的とも思われたけど、なんと1ヶ月で10kgも落とした。


減量するパパの為にスレンダートーンを買った。
食事管理でのサポートも炭水化物は朝だけ、昼はまかないなので本人に任せ、夜は帰ってきて食べる時間が遅いので野菜、ササミをメインに豆腐や納豆、肉魚などタンパク質のみにした。

飽きないように調理方法や味付けも試行錯誤した。

効率アップの為カテキン茶をまとめ買いして毎日500ml1本、栄養補給の補助にカロリーゼロのウィダーインを朝はしっかり栄養チャージの赤いやつ。夜は高タンパクのカロリーゼロの黄色のやつを1本ずつ。


そして、職場の関係上毎日ではないけど週3.4回は車を使わず行きは電車で行って仕事終わったら豪雪の中1時間かけて歩いて帰ってくる。
吹雪の中豪雪の中を歩くのもかなり疲れるけど、寒い中体温を維持しながらのウォーキングなので消費カロリーは中々だと思います。

帰って来たら30分くらい半身浴。その頃は22時に仕事が終わるからお風呂から上がったらもう0時を回っていた。

 

 


そんな生活を1ヶ月続けたところ10kgの減量に成功。
すごく悪いダイエット方法でもないけど、ホントはもう少し時間をかけて落として行った方が良いのだろうけど時間もないので仕方ない。

息子のためにかなりハードなダイエットをよく頑張ったなと思い、そして結果に繋げたことは尊敬に値しました!
私にはね、こんなストイックなの無理だと思う...。

 

BMI的にはドナー候補者の基準より上ですが、1ヶ月で10kgの減量に成功したということであるいは肝臓の状態もかなり良いのでは?

もしかして3月頃の移植いけるのでは?ということで、ドナー検査を進めてみることになりました。外来での採血、レントゲン、呼吸器検査、エコー、1泊入院の肝生検や造影CTやったところ、全て問題なし。体重は目標までまだ到達はしてないけど肝脂肪もCTではほとんど見られず父がドナーで進めていけそうだということだった。

 


そして、最後に残った血液型不適合問題。
A型のみーくんの身体がAB型のパパが持つB型の抗体に対する反応が強くでないかどうか。

こればかりは努力でどうにか出来る問題じゃないからドキドキしたけれど、こちらも問題なし。

 

当初99%私がドナーだと思っていたけど無事にパパがドナーに決まった。
本当によく頑張ってくれたなと思います。
自慢のパパで旦那です。
コーディネーターさんも先生もびっくりしていた。子供の為だとしても上手くいかない人はいかないし、中には子供のためなのにそこまで頑張れないって人もいるらしく少し切なくなりました。


パパの準備は整ったので、後はみーくんの準備だけ。

 

 

移植について

退院はしたものの、ビリルビンが完全に下がったわけではなくて外来で経過を見れそうなレベルまで下がっただけのみーくん。

そして、短期間で胆管炎を繰り返してることもあり移植について話しを聞きに行ってもらった方が良いとの事で1月6日にH大に受診する事に。

候補者全員揃わないと話が出来ないということでドナー対象者である私と夫、私達の母。義母には飛行機に乗って遠方から来てもらう事となった。

 

 

初めての年越しを家族で、お家で過ごせた。大晦日当日が退院ということもありおせちを用意する時間もなく、夫の実家からは大人用のおせちを頂き私の実母はみーくん用の離乳食のおせちを作ってくれた。三段重ぎっしりに詰まった料理。普段から離乳食を月齢の2.3倍は食べるみーくん。ペロリと平らげた写真を実母に送るととても喜んでいたがそんなに食べて大丈夫なのかと心配が先立っていた。

 

義母に無理を言って急遽前日から飛んできてもらって翌日受診する予定だった。

だけど、4日の夜中まさかのみーくん発熱。義母に一声かけてT病院に連れて行くと結果インフルエンザA型。即入院となった。

いつものお部屋(シャワー付きの個室)空いてなくてごめんねと普通のトイレ付きの個室に通された。

 

翌朝、夫と義母が病院に来た。

みーくんは、大好きな病棟保育士さんと今日の受け持ち看護師に交代で見てもらってH大に向かった。H大から近所に住む実母はタクシーで来て合流。

 

いよいよ、移植についての説明が始まった。

最初に移植外科の先生から問診。

ある程度問診に答えた後移植外科のトップの医師が来て、問診してくれてた先生達は一旦離席。目の前にはコーディネーターさんと先生。

最初に率直な親の気持ちを聞かれた。

 

夫が、なれるなら自分がドナーにという気持ちがあるうえで体重の事と自分はAB型でみーくんはA型という血液型問題について質問をした。

 

AB型のレシピエントはどの血液型からも輸血や移植を受けられる一方でO型のドナーはどの血液型にも提供出来るがレシピエントとなった際にはO型からしか受けられないと言う血液型不適合問題。

夫はAとB両方の抗体を持っている為A型のみーくんにとっては不適合となるが医師からの返答は、1歳くらいから異型に対する抗体が出来てくるからAB型の夫がドナーになるなら1歳を迎える3月が目安。

そして移植をする方針とした場合、術後のことを考えると肝機能がある程度悪化していて、かつ本人が元気であることが望ましい。なぜなら、先延ばしにしすぎて黄疸が強かったり意識障害が起こるほどまで落ちてしまうと術後の回復が遅い。

手術自体も小さな身体に負担が大きい為体力がしっかりあることが大事。
先生達の見解では、生後半年未満は手術に耐えられる身体がまだないので待てる状況であるならば、生後8ヶ月以上が手術の適応と考えている。

 

そして術後の予後を今まで行ってきた統計からするとみーくんは体重、月齢的にもクリアしていて、ご飯もしっかり食べれていて本人も元気がある今が手術をするのにベストな状態。

肝機能、肝硬変の進行を考えるとあと1年移植を待てるほどの猶予はないとのこと。


そしてもう一つ。

みーくんは門脈という肝臓に流れて行く静脈血管が狭く、もしかすると術後落ち着いた時に拡張させる必要があるとのこと。

 


これらの先生の話しも踏まえた上での夫の考えは、将来再移植が必要になる可能性が0じゃない以上、自分は血液型が異型である事を考えるとO型の私を将来の為に温存させていた方がいいと思ってるとのこと。

そして、私が今ドナーになると夫の職場が長期間休ませてくれないだろうからみーくんの世話や私のヘルプも協力者主戦力の私の実母任せになってしまう。

だけど夫がドナーになると物理的に仕事に出られない状態となる為休職とせざる得なくなり、かつ私が既に育休中だからそのまま育休延長で実母の協力も得て、2人でみーくんの看病が出来ると私1人の負担が減るということ。

 

これらの考えから夫は自分がドナーになるのが最善だと思っていると話した。

 

私はこんな真剣な話し合いの場には相応しくはないが、心底この人を選んで良かったと思った。

本当によく考えてくれていた。自分がなるつもり、とはずっと言ってた。

だけどここまで深いところや先の事も見据えて、そして根拠をもって考えていた。

 

 


葛西手術をやった時のことを思い出した。

私が初めてうんちの色が白い気がすると話したあの時から、この病気について自分でたくさん勉強してる事があの時会話しててよく分かった。

 


妻が医療従事者だと、普通の夫や家族なら判断も対応も任せがちになると思う。

だけど夫は、私に任せっきりにせずちゃんと自分で調べて自分で考えてわからないことや私の意見を聞いて自分の考えを話した上で私にも意見を求めてくれる。

 


2人で一緒にみーくんの身体や病気と向き合ってるって気持ちになれる。


将来的に移植が必要かもしれないとT病院の医師から話があった時から少しずつタバコも減らし今では完全に禁煙出来ている。

そんな夫が本当に頼もしいと思う。

 



 

だけどそこで立ちはだかる夫の体重問題。
若かりし頃の過ちで増やしてしまった体重。高校の頃お付き合いしていたけど、一度別れて20代になって再開した時に二度見をしてしまったほどだったその変わりよう。


それを引きずり今に至り、その結果最低でも1ヶ月で20kgは落とさないといけないという絶望的状況。

80%私がドナーになるんだろうから健康に気をつけて過ごそうと誓った。

 
だけど夫は1ヶ月減量を頑張るという強い意志を持っていたのでひとまずサポートする事に決めた。

 

 

 

 

 

 

癒着性イレウス

退院から約2ヶ月が経った頃。

みーくんは、生後半年が経過していた。

 

その日は、朝の4時にミルクを飲んで以降ずっと機嫌が悪く離乳食もあまり食べたがらずミルクの飲みも悪い。

体調が悪いのだろうか?今のところ風邪症状はなく、熱もなく下痢もしていない。

 

その日は、役所の用事と当時自動車学校に通っていて両方の予定があった私。

夫が休みだったのでひとまず様子を見ててもらい家を出たけど昼頃に、噴水状に吐いて様子がおかしいとの電話が来た。

いつもの吐き戻しの吐き方じゃないという報告を受け、急いで家に戻ると再び嘔吐。たしかにこの吐き方は吐き戻しじゃないと思い、すぐにT病院へ連絡して連れて来るよう言われ車を走らせた。


採血とレントゲン上では問題ないがミルク、離乳食も摂取出来ておらず嘔吐多量で脱水の心配もあり、また診察待機中に発熱したためひとまず腸炎疑いで経過観察での入院となった。

 

ただの腸炎なのか...病気に関連してる事なのか...。考えこんで気張ったまま病棟につくと看護師さん達が「おかえりー!あ、そんなこと言ったらダメだよね」ってセルフツッコミしてて、2ヶ月前と変わらない病棟の温かい雰囲気に少し緊張感が取れ、場が和んだ気がした。

 

 

そして翌日。精査の結果、今回の原因が発覚。

小腸内の癒着性イレウスにてお腹がパンパンに張って嘔吐が発現したよう。

小腸内までイレウス菅を留置して腸液、ガスを排出。腸液100cc排出あったこと、同時にガスも排出して腹部の張りの減少が見られた。

カテ内には胆汁も確認出来、採血結果と合わせて胆道閉鎖症についてはかなり良好な経過が確認できる。

処置後、喃語が見られたりおもちゃで遊んだりする姿から腹部膨満感が減少し、楽になったと思われる。

この後、排便排ガスが見られればオペ不要。なければ、オペにて癒着を除去しなければならない。


そしてイレウス菅挿入後、2回ほど胆汁嘔吐あり。なぜか、腹部膨満感が増強し再び機嫌が悪くなっていく。

小児外科の先生に来てもらって見てもらうと、遊び分のイレウス菅が屈曲していたようで、6cmほど管を抜くと胆汁がどんどん流出してきた。そして、一気に約600mlの排液があり。

途端にみーくんの機嫌も良くなり、ボケ〜っとした顔をしている。腹部の膨満も軽減し、少ししぼんだ。

 

こんな小さな体の腸内にこれだけの排液が溜まってればそれは苦しかっただろう。

手術をしてる以上、今後もまたなる可能性がある。便秘や嘔吐には注意しなくては。

 

様子を見ながら、徐々にミルクや離乳食を再開して今回は1ヶ月ほどの入院だった。

 

だけどその10日後。外来受診にて取った採血の結果再び肝機能に少し上昇が見られ胆管炎の兆候かもしれず早いうちに手を打っとこうかということで胆管炎疑いで再び入院となったみーくんはそこから抗生剤投与の毎日。


けれども中々抗生剤が効いてこず、抗生剤を変えたりステロイド療法を取り入れてみたりあの手この手をして気づくと再再入院から1ヶ月経とうとしていた。

 

そしてこの頃の1番の悩みはご飯が足りてないこと。

8ヶ月にも入ってるから離乳食中期で食事を頼んでるけど毎食のようにご飯がなくなった後も泣いて暴れて騒ぐ。そして毎食綺麗に完食してるにも関わらず離乳食の後にミルクも普通に200ml前後飲むし夜もミルクを飲まなきゃ寝れないし起きちゃう毎日で授乳量全く変わらず。

 

元々離乳食始まってからずっと食べるのは好きだったこともあるけど、ステロイド投与されてるから食欲も増長されてるんだろう。


看護師さんや担当医の先生、栄養士さんや病棟保育士のみなさんと相談してご飯量を増やすことにしましたが、その量で言えばトータル300g。
通常このくらいの時期で出す倍量らしい。

そして、少し刻みを大きめにしてもっと咀嚼させてみようと5ml大の刻みに変更して貰った。

すると、機嫌良くご飯を終えることができるようになった。

ステロイドで食欲増進は仕方ないにしても、この小さな身体のどこに入ってるんだろうと不思議なくらいご飯が飲み込まれていく。

 

だけど、2.3日様子を見るもののミルクのトータル量が減らずあまり様子が変わらない為、スタッフからの提案で通常この時期だと2回食だけども、3回食にしてみようかと離乳食を300g×3回にしてみた。

すると、この日から徐々にミルクの量が減り夜中に1回、寝る前に1回飲むか飲まないかくらいになり9ヶ月終盤に差し掛かる頃には夜もぐっすり眠り夜間授乳がなくなり気づけば自然卒乳していた。

 

そして、大晦日前日。年越しギリギリに退院となり始めての年越しを家族3人で自宅で出来る事になった。

 

 

 

退院〜退院後初外来で考えた事

 

ミルクの量を増やしたり、MCTミルクと言う少し特殊なミルクを買って飲ませたりして体重を頑張って増やして行く方針になった。

 

生後4ヶ月でようやく4kgを超え、1週間におよそ100gずつくらい体重が増えて行った。

機嫌が良い時間も増え、採血結果や術後の創部の状態も良い。

 

 

そして入院から3ヶ月近くが経過して、いよいよ退院が決まった。

 

予防接種に行くだけのはずだった外出が緊急入院となり予想もしていなかったパパと離れっぱなしの生活。

仕事の前には必ず会いに来てずっと抱っこして病棟内お散歩したりずっと触れ合っていたし、休みの日には面会時間いっぱい使ってみーくんと一緒にいた。時折仕事の後に来て付き添いの交代もしてた。

 

それでも家族3人で同じ屋根の下で暮らす生活に戻れるのは大きな進歩だった。

 

退院になるからと言って今後のことが全く心配いらないわけじゃないしまだまだ何があるか分からない。移植になる可能性も0ではない。

だけど、この瞬間みーくんは元気いっぱい病棟のスタッフさん達と記念撮影会をしてニコニコと楽しそうにしている。

 

病気が分かった時頭によぎった。

 

気付くのが遅かったら...みーくんはどうなっていたんだろう。

 

便の色に気づかなかったら?

 

予防接種の時に診てくれた小児科医が精査を促してくれなかったら?

 

 

便の色に気づかなくても黄疸が続いてる事におかしいね、と精査する事になっていたのかもしれない。

生後2ヶ月まで黄疸が続いてたら大抵の先生は、精査してもらおうとなるのかもしれない。

 

考えすぎかもしれない。けれども、1つ1つが奇跡で繋がったパズルのように思える。

 

たくさんの人に支えられて、見守られて、無事退院を迎えたみーくん。

お世話になった多くのスタッフさん。

みーくんが大きくなった時に、この人とはこんな事があったよ。こんな事してもらったよってって教えてあげようと思って写真をたくさん撮らせてもらった。

 

 

 

そして1週間後に、退院後の初外来。
結果は、ビリルビンも1mg/dlまで下がっており順調な経過。


みーくんもとても元気でミルクもよく飲めていて体重も4950gと5kg目前。

 

今の経過ならばこのまま見ていけるけれど、長い目で見た時は神のみぞ知る世界の話し。

このまま自己肝でいけるか、移植になるか。

 

 

胆管炎を繰り返すと肝硬変も進行していくから移植を考えなければならない時が来る事もあると。

 

自己肝のままでいても、元々肝硬変リスクの高い肝臓を保有してるわけだから死ぬまで移植が必要になる可能性がある。

 

自分達が若いうちはいい。特に病気にもならず健康でいるうちは。
だけど、ドナーには色々な制限や条件がある。

年齢や健康状態など。

 

自分達が歳をとってドナーになれなかったら?

健康体でなくなっていたら?
自分達が死んだ後に移植が必要になったら?
先生の話しによると遺体ドナーはほぼ期待出来ないのが実情らしく、中々回ってこないそうだ。


先生は、みーくんが大人になった頃にはips細胞の研究がもっと進んで移植以外の救いだてが出来てるかもしれない。

でもそれこそ可能性であり、絶対じゃない。

 

 

だけど、先生の話では移植をしたとして再移植の可能性も割合は低く稀ではあるけれど0ではないと。

移植をすれば、免疫抑制剤を飲み続けなきゃならないし色々な行動制限も出てくる。

それは大人になるにつれ、少なくなるとはいえスポーツするにしてもお腹を強打しないように普通の子よりも気をつけなきゃならない。生涯免疫抑制剤の内服が必要。
色々な我慢や、免疫抑制剤による易感染状態による感染症のリスクを伴う。

薬との兼ね合いで食べれないものも出てくる。

 

 


こう考えたとき、移植をすることも自己肝でいくこともどちらも最善であり、どちらもリスクがあって正しい方はないんだと思った。


もちろん今後、肝硬変が進行して移植せざる得ない状況になれば話は違うし移植が必要となれば先生から打診もあるだろう。


就学してから移植が必要になったら休学しなきゃならないだろう。
楽しんで通ってるかもしれない学校にも行けなくなる。
友達とも長期間会えず、遊べなくもなる。

 

 

もちろん選択の余地もなく移植をしなければならない状況にもなるかもしれないけど選択しなければならない時も来るかもしれない。

自己肝のままでいくか、移植に踏み込むか。

 

 

大人の病気以上に難しい子供の病気のサポート。

何も分からない、自分で考えて答えを出せない子供の代わりに親が答えを出さなきゃならないこと。


それはすなわち子供の人生を考え、決める事。


親とは全く違う1人の人間の人生を決める。

それは言葉にするより深くて責任のあること。

 


生半可には答えは出せないし、答えを出す事を怖いとも思った。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

術後の経過

手術行ってから2日が経った。

絶飲中と言う事もあり、授乳を求めてなのかそれとも術後の傷が痛むのか覚醒してる間は不機嫌な事が多いけれど、だけど1日を通して見れば眠っている時間が長い。

執刀したY先生いわく、傷も痛むだろうし起きてれば空腹も辛いから寝てられるならその方が良いし傷の治りもその方が速いと。

 

そんな中、初めて胆汁便が確認された。

先生からも順調とお墨付きをもらった。


翌日の採血結果では、ビリルビンの値は9まで下がってたし、炎症反応のCRPは4点台。

便も胆汁便だし、おしっこもちゃんと出ていて今日も順調な経過だと言ってもらえた。

 

日中も機嫌悪いけど夜中も中途覚醒して泣き愚図る事も増えた。抱くと余計に酷くなる。

授乳を求めているのか、抱いても横に添い寝してても顔を近づけようとしたり手を伸ばそうとしたり胸元をじーっと見る。

期待させてしまったら可哀想だから抱っこはやめて添い寝も少し離れて頭を撫でるだけにした。

 

それからもおしっこも良く出てるし便も緑色、傷の状態良いしドレーンやガーゼへの排液は減ってるし空腹で泣き暴れる元気もあるみたい。

傷痛がってると言う感じでもなさそうだし全てが順調でこのまま行けば術後1週間経過で絶食は解禁になる予定。

 

手術から5日後に、プレドニン投与1日3回が開始。

 

そして1週間経過し採血の結果ビリルビンも炎症反応も下がっていて入院中の担当医から母乳、ミルク無制限で授乳再開可となった。でもいきなり無制限は少し心配だったから、最初は片側5分ずつの授乳にしたけど久しぶりの経口摂取にもっと吸い付いてくるのかと思いきや意外と控えめに飲みに来た。夜はミルクを80~90ml程度飲ませていたけれど、毎回大量に吐き戻ししてしまっている。

 

翌日、昨夜から微熱が続いていてレントゲンや採血を行うものの特に大きな変わりはなくむしろ採血に関しては肝機能も炎症反応も更に改善傾向にあった。

吐き戻しも頻度が多く、胆管炎の超初期症状なのか胃腸への負荷なのかと言うところで念の為この日は1日絶飲となった。

 

さらに翌日、熱は下がり飲まなければ吐くこともなくとりあえず5mlずつを1日8回に分けて少量ずつ与えましょうと担当医から話しがありそのように授乳していたら執刀医のY先生が様子を見に来て飲めてるか?と。これまでの状況を説明すると詰所の方に行って担当医や今日の受け持ちナース、病棟保育士さんを連れてやってきた。

そして「好きなだけ飲ませてやれ」と。

さらには、胆汁の確認と排液する為に挿入していたドレーンチューブも排液量はまだ多いけど、感染つく方が厄介だから抜く事に。

思いがけず、管が1本減って少し身軽になったみーくん。

1回量を少しずつ増やしながら、様子を見ていき3日後には50、60mlくらいずつ飲めるようになっていった。吐き戻しも少量。

授乳が問題なく出来ている為点滴も外れた。

そして、お腹の傷に関してはもうシャワーも解禁して良いとの事で術後2週間でシャワーにも辿り着いた。

ただ、この日の採血で肝機能が少し上がっていて炎症反応は悪くないから炎症性の胆管炎だろうとの判断でステロイド1日3回の点滴が再開になった。

 

搾乳していたとはいえ、断乳が続いていた影響かあまり母乳が出ていず夜間はミルクを足す生活。

だけど1回量は80mlくらいまで増やせるようになっていたけど機嫌は相変わらず悪い事が多い。

 

 

 

それからも季節は流れ入院から1ヶ月が経ち6月。

 

2942gで産まれたみーくん。

生後1ヶ月で3380g。

 

そして、生後2ヶ月。

手術後10日が経過し絶食解禁直後の体重で3690g。

 

手術からちょうど1ヶ月、生後3ヶ月が経過する頃の体重は3680g。

 

体重の増えはいまいち。

飲む量もまだ1回100mlも飲めていず、かと言って頻回授乳なわけでもない。

 

 

 

様子を見に来た執刀医のY先生がそれはおかしいぞとまたもや担当医や受け持ち看護師やリーダー看護師を連れて来て「まだこんだけしか飲めないのはおかしいぞ」と話し始めた。

飲んでも多量に吐いてしまうし、授乳から時間が経った後にも突然吐いてしまったりする状況から現状の授乳量のまま様子を見ていたけど飲む量も体重も増えてこない事に違和感を感じた執刀医の先生が依頼し、その病院の副委員長かつ小児部門及びNICUの主任の先生にみーくんの授乳の様子を見てもらった。いつも飲んでる80mlで準備し哺乳させた直後に、その先生は「この子はもっと飲めるよ。200mlあげてごらん」と言った。

言われた通り飲み終わった後追加で120ml飲ませてみるとあっという間に飲み干した。

そしてニコニコとして満足そうだった。

飲み終わった後、いつものように大量に吐いてしまうものの「ただの吐き戻しだから大丈夫。ゲップ下手な子はそうやって嘔吐のような勢いのある吐き戻ししたりする事もある」と。

 

こんなに飲めるのに、今まで吐いちゃうからとちょっとずつしか飲ませてあげてなくて...と反省や後悔をし、その日からは1回量を増やして見た。

 

 

 

 

葛西手術

予防接種を受け、そのままの足でT病院に受診。

採血を行うと、その時点ですでに肝機能が高かったためそのまま入院する事になった。

その後、エコーやCTを行った後小児外科の医者から両親の両親まで呼んでほしいとの依頼があった。

夫の母は遠方ですぐに来るのは難しい為ひとまず私の母にだけ来てもらって、3人で話を聞くことに。

 

胆道閉鎖症の疑いが拭い切れないが新生児肝炎の可能性もあり。

確定診断を下すためには開腹して、胆道造影をやらなければならない。

もし最終的な診断が胆道閉鎖症ならそのまま葛西手術という手術に切り替えるとのこと。

胆道閉鎖症は1950年代に葛西手術と言う手術が確立されるまでは治療法がなかった病気で、発見されても救うことが出来なかった。

今は治療の第一選択としてこの葛西手術が主流となっている。

だけど術後も胆管炎を起こす可能性は十分にあり、葛西手術だけで自分の肝臓で生存してる人はおよそ半分いるかいないか。

あとの半分は、肝移植をしているとのこと。

ただ、遺体ドナーはほぼ期待できずほとんどが生体肝移植の選択肢である。

移植になった場合、患者の両親と祖父母しかドナーになれずドナーになる為の条件もありその説明と準備もあるということで今回祖父母まで呼んで欲しいと言ったとの事だった。

 

 

病気については便の異変に気付いた時からかなり調べていたし、かなり気にはしていた。

でも調べながらも、まさか自分の子が10000人に1人なんて発症率の病気を疑わなければならない状況になるなんて...と言うのが率直だった。

 

開腹しないと確定は出来ないけど、精査した限り胆嚢のサイズも小さく萎縮が見られるということで、胆道閉鎖症の典型的な初見らしい。

 

 

先生の話しを終えて、病室で夫と話した。

この段階ではあくまで疑いは疑いだし、新生児肝炎だったらいいのに..と言う気持ちはあるけどお互い胆道閉鎖症の可能性が高いんだろうなと言う気持ちだった。

 

夫は自分の母親に連絡をし、医師から説明された事を伝え職場に事情を話ししばらく有給を取った。

 

明日の造影検査の結果を待つだけ。

 

目の前でニコニコと機嫌の良いみーくんを見るとやりきれない思いでいっぱいだけど、でももし胆道閉鎖症だとしたら手遅れになれば死んでしまう病気なだけに手遅れになる前に見つかって良かったっていう安堵もある。

複雑だけど、ただ祈るだけ...そんな気持ちの入院初日。

 

 

翌日、朝の9時に手術室に入ったみーくん。

お昼前頃に担当医の先生が病室にやって来た。

胆道造影の結果、胆道閉鎖症の確定診断が下り現在葛西手術に切り替えてオペを進めている事を担当医から告げられた。

 

覚悟をしていたからか告げられた時は、思っていたよりも冷静だった。

だけど悲観な気持ちがないわけじゃない。

ただ、少し前までは病気が分かっても救えなかっただけに手遅れになる前に分かって対処できて良かったという気持ちもあり複雑な心境だった。

 

担当医から告げられた後、しばらくは私も夫も黙ったままだった。時間にすれば、ほんの数分だったと思うけどすごく長く感じた。

ひとまず、お互いそれぞれの親に連絡をし胆道閉鎖症と確定し現在治療の為の手術をしていることを伝えた。

 

 

それからみーくんが戻って来たのは15時頃だった。

戻って来た時は、麻酔がまだ効いていてボーっとしつつも時々泣き出してはすぐまたウトウトするの繰り返しだった。

 

 

 

出生記録〜病気発覚前まで

 

陣痛が来て入院しては遠のいて一旦退院、を3回繰り返した臨月。

最終的に誘発剤を使用しての計画分娩となり、39週6日に2942gで産まれたみーくん。

 


産後すぐからよく吐く子だったので

 

誤嚥してないか

 

ちゃんと息してるか

 

常に心配で仕方なかったです。

産まれた時よく寝る子で空腹で泣くわりに授乳を始めると、うとうとと寝てしまい授乳指導が進まなかった。

 

産後3、4日経っても変わらずもしかすると黄疸が強くてぼんやりしてるのかもしれないね、と言われた。
実母から、私自身も新生児黄疸が強く新生児肝炎疑いで生後半年くらいまで病院に通う生活をしていたと聞いていた。

新生児黄疸自体は珍しくもないし、それほど深く考えず遺伝かな?くらいにしかこの頃は考えていなかった。

 


翌日の黄疸チェックで、ビリルビンの数値が右肩上がり。まだ治療をはじめるラインまではいっていなかったが、一緒に退院出来るように今から光線治療を始めましょうということになった。

授乳以外は泣いても下ろさずに光線浴びせておくよう説明があった。

泣いてるのが辛かったら詰所で預かれると言われたけれど、せっかく同室でいれるんだから一緒にいたいとお願いして一緒に部屋に戻った。

 

 

しかしそれは想像以上に辛く寂しいものだった。
隣に寝ていない寂しさ。起き上がるのも立つのもしんどい中、様子を見るのに都度立ち上がらなければならない。

これが中々にしんどかった。隣に寝ていた時は、目を開ければ様子が確認出来たから。


結局、精神的にも身体的にもしんどくなりその日はナースステーションで預かってもらうことにした。

 


だけど、翌日のビリルビンの数値は更に上昇傾向で上下から照射するとの事でこの日からは否が応でも詰所預かりになった。目の保護のために貼ってあるシルキードレッシングに目の落書きをしたり唯一抱っこ出来る、授乳の時に思いっきりみーくんを堪能した。

 


退院前診察で、ビリルビンは少し下降していた。
予定通りに退院出来そうだけど2日後にまた受診して欲しいと医師から話しがあった。

 

ちょうど2日後は授乳指導を受ける為に、助産師外来をかかることになっていた。

その為、母子一緒に退院する許可が下りみーくんと一緒に私の実家に帰った。

 

 

入院中は中々授乳が上手く行かず、軌道に乗せることが出来なかった。

助産師からの指示量のミルクを3時間おきに飲ませながら母乳による授乳も練習していた。


みーくん自身寝てばかりであまり欲しがらず、オムツ汚れても知らん顔で寝ていることが多かった。

なので赤ちゃんってもっと泣くものだと思っていた、というのが産後間もない私の感想だった。


退院した日の夕方頃に突然乳房が張ってきて痛くなってきてしまった。
みーくんはまだ口に咥えるだけで上手く吸えずあまり飲めていない為と思われた。

私の技術不足もあり手絞りによる搾乳もうまく出来ず母に近くのドラッグストアで搾乳器を買ってきてもらい、その日は何とか搾乳をしながら乗り切った。


翌日になると覚醒時間がいつもより長かった。
おっぱいにもようやく吸い付けるようになってた。少しは飲めてるように思えた。

それまでとは裏腹に、夜中におっぱいもミルクもよく欲しがるようになって吐いても飲むスタイルのみーくん。溢乳?吐き戻し?

 

 

翌日助産師外来を受診した結果、ビリルビンは退院時より下降していた為このまま経過観察。

体重も退院時より増えていて、吐き方的にはミルクの量が多いと思うから毎回飲ませなくていいとのことになった。

なので、日中は母乳を頑張って吸う練習してもらい夜はミルクで寝てもらう方針とした。

 


その後、みーくんも吸い方が段々上手くなり私も飲ませ方が上達したのか授乳時間が短くなってきて大分授乳が楽になった。

 

 

1ヶ月検診は黄疸の値は問題なく、みーくんの体重の増えがちょっと物足りないくらいで、大きな問題はなかった。

ミルクのトータル量を増やすと吐き戻しがあるので1回量ではなく回数を増やして様子を見る事にした。

 

 

1ヶ月検診の後から気になる事が増えた。

それは、便の色が時折少しベージュ味かかった便が出る事。それも本当にたまに。

ただ母子手帳の便色カードで評価するならば、3と4の間で明らかに白っぽいというわけでもない。

そして、結膜の黄染(白目が黄色くなる)が徐々に良くなっていたのにまたなんとなく黄色味かかってきている気がする。

 

夫にも便の写真を見せたり目も見てもらい、夫からは「ずっと見てるママの直感は大事だと思う。病院に行って何もなかったらそれで良かったね、で済む話しだから病院に連れて行こう」と言ってくれてもう一回違和感を感じる便が出たら行くと言う結論になった。

この時点で、私はもし胆道閉鎖症の症状だったら...と、この病気についてとにかく検索してひたすらに調べた。

 

翌日、やっぱり光の加減によっては白っぽく見える便が出たのでその翌日に夫と一緒にお産した病院内の小児科に連れていった。

だけど心配とは裏腹にビリルビンの値は1ヶ月検診の時より少し下がっていて、体重も少し増えていたので様子を見ることになった。

 

それからのみーくんは、吐き戻しが急に増えた。
と言うよりも、ほとんど飲む度に吐いていた。

授乳後にも吐いて、それから1時間後とかに吐く事もあった。

 

 

今でも忘れない生後2ヶ月が経った5月9日。

予防接種の為に再びお産した病院の小児科を受診した。

便の色もクリーム色である事が続き、最近は機嫌も悪いことが多く吐き戻しもほぼ毎回であることを伝えた。

1ヶ月検診の時に下がったはずのビリルビの値がまた上がっていた。

結膜黄染(白目が黄色くなること)もどんどん強くなっていってる。


この時期まで黄疸がこれだけ強く出るのはおかしいからちゃんと検査してもらいましょうと勧められた。その小児科ではとりあえず予防接種は大事だからと言う事で初めての予防接種をしてもらいその後、すぐ手紙を書くので今から行けますか?と言われ指定されたT病院。

本当にすぐ近くで車なら5分もかからず着く距離だったのでそのままの足ですぐに受診した。